師走について

年があらたまったと思ったら、あっというまに日が経ってしまっている。 旧臘・師走のことは、ずっと前のことのようにも、昨日のことのようにも思われる。 時間は連続しているようで、またそれは人間がきめた暦によって、区切られていて、時には呪われたり、時には忘れられたりするのだ。   今は正月だけれど、日本の旧い暦では師走(12月)である。 そこで今更のようだがーー『師走について』 『師が走る』 『師』とは誰のことだろう? お師匠さん? お医者さん? それともーお坊さん? それぞれ説があって、―――例えば、『師走』ともなれば木枯らしが吹いて、世間では風邪が流行るーそうなればお医者さんは患者の家から家へと、急がねばならぬ。つまり医師が走る。――という説。 この説を、さる席で披露したらば、たちまち知り合いのドクターから『こっちは年中走っている!』と半畳がはいった。    走ることが嫌いな和尚(マラソンなどのレースを観るのは好きだ)にとって、『師走』の語源は、いささか気にかかる問題なのだが、世間に『師』つまり『先生』と呼ばれる職業はたくさんある。 しかし、あまり走るのが得意そうな職業は見あたらない。例外は、体育の先生くらいか。 そこでふっと思い当たった。これは『師が走る』ではないのかーーと。日本語で『が』と『も』では大いに違う。  ふだんは滅多に走ることの見られない先生たちも、年の暮れともなると、何か気ぜわしくなって、ついには走り出すーーと解釈すれば少しは納得がいくーーというものではるまいか。 走ることの大嫌いな山寺の和尚は、きょうもマイカーで、静かに山を下っていくのでした。

「山寺通信―やまでらだよりー」H14年1月