金 堂

本尊は阿弥陀如来。元 円覚院の常行堂にあったと伝えられています。昭和58年3月から全面解体修理を施し昭和60年4月に落慶法要(らっけいほうよう)を挙行しました。

内陣の宮殿

内陣の宮殿(くうでん=本尊の厨子)は室町時代後期に造られたものと判明しました。県指定文化財/総棟高3.161m
金堂に安置。ほまば完全な唐様(禅宗様)でまとまっている。弘治四年(1558)、永禄二年(1559)の墨書があり、室町時代末期の標識建築として極めて貴重である。

開眼阿弥陀如来

金堂の本尊は、古来より「開眼阿弥陀如来(めあきのあみだにょらい)」と呼ばれてきました。この仏像は、奈良時代に当山を開いた勝道上人の一刀三礼(一度刻んでは三回礼拝する)の作と伝えられ、霊験あらたかに、数々の奇跡が現れました。その数々の奇跡で語り継がれている中で、源満仲の子、美女丸(または美丈丸)は素行が悪く、修行を怠ったため父の怒りに触れてしまいます。
危うく美女丸は命を失うところでしたが、源満仲の家臣である藤原仲光の子、幸寿丸の犠牲によって密かに助けられました。後にそれを知った美女丸(または美丈丸)は、悔い改めて比叡山で修行に励み、やがて源賢阿闇梨(げんけんあじゃり)という高僧になりました。そんなある日、師の源信僧都(平安時代中期の天台宗の僧)に伴われて当山 満願寺を訪れた源賢阿闇梨(げんけんあじゃり)は、年老いた源満仲と母公に再会しました。源賢阿闇梨(げんけんあじゃり)は、自ら美女丸であることを源満仲と母公に明かします。驚き喜ぶ母でしたが、母公の両目はすでに見えなくなっていました。それを知った源賢阿闇梨(げんけんあじゃり)は、当山に留まり、阿弥陀如来に誓願をかけ、「母の眼病平癒させ給へ」と丹精込めて念じました。そして、7日満願の暁には、母公の両目が全快するという奇跡が起こりました。ますます信心を深めた母公は、源賢阿闇梨(げんけんあじゃり)のために円覚院(現在の本坊)を建立します。このときから「開眼阿弥陀如来(めあきのあみだにょらい)」と呼ばれるようになり、目の病の回復を願う人々が祈願するようになりました。

十一面観音

平安時代後期の作        県指定文化財 / 像高159.Icm  金堂に安置。ほっそりとした長身の像で、面相はおだやかである。

薬師如来

平安時代作   像高 70cm  薬師如来は東方浄瑠璃世界の教主で、無明の病を治す法薬を与える医薬の仏として信仰を集めています。  井上正(元 京都博物館)著「古佛彫刻のイコノロジー」(昭和61年10月発行)に詳しい解説文の記載があります。

聖観音菩薩

平安時代の作      県指定文化財 / 像高166.3cm  金堂に安置。肩の張った重厚な肉取りに平安時代前期の古様をみせるが、面相は穏やかである。